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私のコーチ、Iさんの、そのまたコーチ?の、Ohmaebot(http://twitter.com/ohmaebot)様に

ツイッターで偶然、フォローを頂きました。

15000人の中の一人だし、それに、アブナイ人以外は、フォロー返しをされているのでしょうが・・・

でも、嬉しかった!

 

 

なので、先生の、いくつかのつぶやきをご紹介します!

 

多くの人が答えのみを求める生活をしている。だからこそ、自分で考える癖を付けて、最善解にたどり着く執念と勇気を持つ人間が強くなるんだ。

 「みんなと同じでいい」という態度をやめた途端、脳はフル活動を強いられる。これは大変苦しいが、頑張って1週間、1か月、1年と続けていると、自分の頭で考える癖がつき、思考力も高まる。

 事業は最後に成功した者が勝ち。アイデアは盗めばいい。私のアイデアをパクッても全然かまわない。皆さんは学校ではカンニングはいけないと習ったと思うが、事業はカンニングしようが何をしようが最後に成功した者が勝ちなのだ。

 いろいろな店に行き、観察してみることが一番重要だ。「どうしてその店が流行っているのか」など考えながら観察すると、自分で仮説が出てくる。

 悩むぐらいだったら行動する。それでうまくいけばよし。もしうまくいかなかったら、失敗を潔く認めて、どこが悪かったのか、その原因を徹底的にさがし、それを排除するには自分は何が出来るかを考える。大前研一

 経営コンサルタントを36年やってきた私が痛切に感じるのは、最も重要なリーダーの役目は、まず「方向」を決めること、次が「程度(スピード)」を決めることだ。

答えを「みつける」能力ではなく、答えを「考える」能力を磨く必要がある

 

 

以上です!ではまた!

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Projectモノ: いよいよ!

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夏のスイーツフェアがはじまった。

 

これから、注目!の季節です。

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新しい材料が面白い 豆編

お豆やさんと(http://www5c.biglobe.ne.jp/~kiyomi65/beniya/index.htm)と

最近、お付き合いさせて頂いている。

 

この、べにや長谷川商店の、長谷川さんと、うちのP小林は、以前一緒に豆を売って歩いた仲だそうなのです。

(様子が目に浮かびますね・・)

 

Pが、お料理教室に行った様子はこちら↓

美味しそうだね♪

 

 

三種類の豆腐をつくりました。

おからご飯とポタージュは教室で用意してくださいました。
 

上から

黒千石大豆(→ざる豆腐にしました。)
間作大豆(→ざる豆腐にしました。)
青大豆(→おぼろ豆腐にしました。)

色も違いますが、味もそれぞれ微妙な違いがあります。

黒、間、青の順で濃い感じがしました。

市販の豆腐よりかなり濃厚。

通常のやくみで食べるのも美味でしたが、塩+オリーブオイルかけて食すのもありな
発見でした。
にがりをいれて豆腐にする前の豆乳もおいしかったです。
にがりによっても出来る豆腐に味のちがいが出るそうです。
こだわれば、マスマスこだわっていくもののようです。
 
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ベトナム アメーバ型組織へ?

昨年末に、ある先輩から頂いたリンクをご紹介します。

以前、岡田監督について触れたが、たぶん、今なら

読んでくれる方が多いかもしれないですね。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0912/14/news010.html

「目標を持つ」ことが何より大事と学び、そして

インドの人が書いた「怒らないこと」という本とも通じる、とその時感じたのだが・・・

 

今日も、とある雑誌の記事で、岡田監督と、生物学者との対談話が載っていた。

 

生物学者は言った。

<人間は、60億個の細胞で構成されていますが、生命現象に「監督」は存在しません。(中略)

個々の細胞が自立して新陳代謝を行い、相互に情報、物質、エネルギーをやりとりする。(中略)

新しく出来た細胞は周りの細胞を尊重し、従う。周りの細胞も新入りを尊重し、協調して

働くようになり、体の秩序が保たれる>

 

監督はこう返した。

<苦境に陥った時、監督や主将に「なんとかしてくれ」と任せるのではなく、自分から動く

意識を持って欲しい。リーダーが強烈に引っ張る組織が素晴らしいと考えられがちだけど

私のイメージは、今違う。全体がアメーバのように進む組織がいいのではないかと>

 

そうか!

芸術や、スポーツや、歴史などから、なるほど!ということはあったが、こんなに専門的で

良く分からない(私には難しいという意味ですよ)生物学でも、あ!そうか!

と思えることもあるんだなーーーと、思った。

いろんな繋がりの発見があって、面白いですね。

 

発見するには、自分で体験したり、人の話しを聞いたり、本を読んだりがないと、出来ないし、

この繋がりの集合体が、人生を、面白くしてくれる。

そして、生きている時間のほとんどを、仕事してるのだから、やっぱり、楽しく過ごしたい。

 

ただ、楽しいは楽しいけれども、つらい思い(つらい練習や、つらいバッシングを受ける)を

しなきゃいけない立場の人(スポーツで言えば監督や活躍する人。会社なら幹部やリーダー)は、

そういう使命を持っているのだから、仕方ない、ね!!

 

それにしても、このアメーバのように進む組織という発想は、ベトナム人スタッフが大勢を占める、

私たちの組織に、ぴったりなのではないだろうか??

<生命現象に「監督」は存在しません> って、しびれる言葉だと思いませんか!!

 

私も今まで、流れている間に、ベトナム、この仕事と出会ったのだし、アメーバ型人生と言ってもいいかも。

 

この形をちょっと考えてみよう♪

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サッカー

ワールドカップが盛り上がっている。

私は結構スポーツ(観戦)は好きな方だ。

 

昨日、食事をしながら、発表したのだが、自分でやるなら、ディフェンス側がいいな、と

思った。

どうも、自分の中でも変化があるようだ。

前なら、絶対攻撃陣の一人になりたい、言っていたと思うのです。

 

机の上でも・・

 

天才なアイディアを生み出してゴールを決めたい、という気持ちが強かったのだが、

最近は、

天才案を生んでくれる人に集まってもらいたい。と思うようになった。

集める、そして留まってもらえるような場所がつくれる天才になりたい、と思う。

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ちょっと休憩して、ホイアン日記

旅のお話に、戻ります!

ホイアン編は、先輩から頂いた風景画の作品と共におおくり致します。

 

ニャチャンからは、ダナンへ空路で向かった。

ダナンには、朝早いうちにつくので、朝食はバインミーにしよう、と決めていた。

港町らしい、つくだ煮のようなものが入っているのが、美味でした。

気の優しい男の子ドライバーと一緒に食べたので、Banh mi thitと、この小魚入りを、半分づつ。

 

そのタクシーでホイアンへ向かう。「寒いからエアコンちょっとだけ下げてくれる?」が、この方にはどうにか通じた。

今度はもう少しベトナム語を勉強して行こう・・・。絶対に生きやすいから・・!!

別れるときには、See you again!と言われた。

そうだね!また会えるかもね!

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ホテルは、この絵の橋を渡ったふもとにある、雰囲気あるコテージだった。

予約は、事務所のOちゃんに頼んだのだ。私が選んだのを却下して・・ハードルをいつも自分で上げてしまうチャレンジャーな彼女が予約してくれたホテルは、どこも100%の大当たり。

すごく安いバックパッカー宿か、ちょっと高めのところを手配するのは簡単だけど、約50ドルのシングルで外さないって技がいると思うのですよ。ありがとう♪

 

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ホイアンは、こんな情緒あふれる町。世界遺産だし、観光客は、まあまあいるけど、賑わいがない。

日本人は、ニャチャンから引き続き、全然見ない。1人もいない、という位、いない。

ほとんど欧米か!と独り言・・。

日本からも沢山来てくれればいいのにね。。と、また思う。

ニャチャンは、若いカップルか、グループ向きに安いホテルAを、大人以上のご夫婦には、ホイアンのリッチな水辺のホテルBをお勧めしたい。(AとかBとかは、例えね!)

Aは、50ドルあれば十分快適で便利なホテル。もっと安宿という選択肢もたくさんある。

Bは、100ドル出せば、結構素敵なところが探せるでしょうし、200ドルなら、超リッチな休日になることでしょう。

 

やっぱりベトナムを広めないと・・・。

広めて皆ベトナムに行ったら、また日本でもベトナム料理食べたくなるし・・

これが我がベトナムレストラン含めた、ベトナムマーケットの、成功スパイラルだよね、やっぱり!

 

冒頭絵の橋は、歩いて何度も渡った。今回の旅の前半は、1人だったので、ガイドさんでもお願いすれば

良かったのだが、見るもの、食べるもの、1人で見て考えたかったので、無駄な時間とトラブルを覚悟して

1人で回った。絶対後で違うこと言うだろうなーと思って乗ったシクロも、お約束でもめたが、

大分去年、おととしよりも、少し成長している私は適当にちょっと損してやり過した。

 

という理由から、結構よく歩いたという訳なのです。そのご褒美で、この橋からの夕焼けはとてもとてもきれいでした。(写真も最後にあります)

あ、そう、そう、そう言えば、思い出したけど、この橋を渡るために、ボートも1回乗った。橋を渡っていたら、誰かが呼んでいた。船から「乗ってくれーー」とおばさんが叫んでいて、途中まで渡っている橋を、また、戻ってきて、乗れ、というのだ。

絶叫で笑わせてくれたので、次の日は片道だけ、乗ってあげた。料金については、出発から着くまで、着いてからも大騒ぎだったけど、こちらは、笑いのある範囲で治まって良かった。

 

 

えー、と、昼食は、カオラウ。見えないが、下には黄色い麺が潜んでいる。

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説明は、スケッチさんの伊藤さんのページでどうぞ↓

http://www.vietnam-sketch.com/colum/14336.html

 

そんな訳で行きあたりばったりの旅を選択したもの、食べ物に関しては、当たり外れが結構あった。

カオラウは、OKだった。油そばの食べやすい版、かなあ。

 

こちらのコムガーは・・・ ごめんなさい。NGでした。

NGな理由は・・・やめておきますね。おばさんはいい人だったし。。

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はい、これが、橋からの夕焼け。

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巨匠が描くとこんな感じ!

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では、また。

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ベトナム料理の道へ  はじめのつまづき編

 再び、P4の、増田です。この章と、次で、昔話は、終わりです。

昔のことを思い出すと、感謝や反省が蘇ってきますね。

後悔や、誰か、何かを恨むことだけは、ない人生がいいな、と思います。

今のところ、大丈夫みたい、です。

後悔を生むのは、私は、やったかやらないか、ではないのではないか?

どうやったか、なのかな・・と思うこのごろです。

 
 
 
渋谷で、店をはじめた。カジュアルな、フォーの店だ。
 
物件を紹介を頂き、やってみよう、と始めるまでは良かったのだが・・。
 
始める前もとにかく大変だったが、その蓋をあけた後の大変さと比べたら、
何ということもなかったのかもしれない。
 
 
売れなかったのだ。
 
売れないと、負の連鎖が起こる。
 
以前のブログでも少し書いたが、
 
オープン初日から、いろんなことがおかしいことに気づいたはずが、
当時の私は、そこで修正をする経験も知恵もなかった。
 
 
問題が起こり、解決してもしても、次の問題が起こり・・・
 
ベトナム人スタッフとのコミュニケーションも、機能していなかったのかもしれない。
 
 
自分も、はじめは、朝10時から、翌朝5時まで店にいることも多く、
時間がないのを言いわけに、ワークシフトもまともに準備せず、お金の管理も後回しで、食材比が
いくらかかっているかさえも長い間把握しないまま営業していた。
 
計算しなくても、体で分かる、という天才職人でももちろんなかった。
把握しなければ、何の対策も打てないことが当時は分からなかった。
 
机上の仕事よりも、現場でとことんやってみたい!という気持ちが間違った方向に作用して、
一生懸命やればどうにかなる、と思っていたのかもしれない。

(実際は、目の前のことに呑みこまれていただけだった)

 
経営者としても、店長としての責任も果たせていなかった。

皆、疲れていた・・・。

 
 
このままでは、私もスタッフも、お店も疲れきって死んでしまう、と大分時が経ってからやっと気づき、
体制を整えることをようやくはじめた。
 
だけど、それだけで、どうにかなる段階はもうとっくに、過ぎていた。

この場所からは、1年で撤退した。

(その施設自体も、1年強で、クローズした)

 
 
その3年ほど後になるが・・・
直属の部下、そうでない人たち・・・ある大勢のいる会議の場で、「休みを取らせないと、皆死んじゃう・・」と発言し、
あれは、人を、道具みたいに表しているのではないか、と後から指摘されたことがある。
 
この最初の渋谷の店でのトラウマがあって、もう同じことは繰り返さない、と
いう気持ちの表れだったのだが、
誤解を受けたのは、言葉が足りなかった私の責任だよね。(すいませんでした)
 
言葉って大事だ。伝えるって難しい。でも伝える責任がある。と、今も、反省&再トライの毎日である。
 
 
 
そんな訳でして、最初の店では、大きく失敗をした。
 
ずいぶん、借金をつくった。

でも、他にも残ったものもあったのです。

 
 
人の大切さが身にしみた。
 
あ、これは何か、おかしいな?という、気づき、の経験値が備わった。
おかしいと気づき、認めることが出来れば、対応は出来るのだ。
 
あと、苦しさは少しずつ薄れたけど、飲食業の楽しさだけは、残った。
(良かった)
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ベトナム料理の道へ

ベトナム現地でのパワフルで、そしてなぜか懐かしい、食に感動し、同居人がつくってくれる現地風家庭料理で癒され、ベトナム料理に惚れ込んだ私でした。

お腹はあまり強い方ではないのに、向こうに行くと沢山食べたくなるし、元気になる・・・。

 

雑貨を売っているうちに、デパートの催事の話しを頂くようになった。そして、
家具や雑貨を売っているうちに、一部をカフェでやってみたら?ということに繋がってきた。

また、はじめて、Majesticホテルの朝食で飲んだコーヒーの味が、いつまでも忘れられずに、同じものを仕入れて販売、提供するようになったり・・(売れなかったけど・・・)

そのうち、趣味であった食と、仕事がリンクするようになってきた。

そして、そのつながりの、極めつけは・・・

お友達の店に通うようになって、「うちの、社長だよ」と紹介してもらった、タイ料理他チェーンのW社長との出会いだ。

 
アジア料理を愛する純粋な姿勢に触れ、私もどんどんこの世界に入り込んで行った。

このお友達は、雑貨も一時期本職として手伝ってくれた。社長とも出会わせてくれた。

今は、一児の母。子育て中です。
 

会社は前章のように、直属の上司の応援も受けながら、退職した訳なのだが、当時から、私が何かやりたい、という思いに反応して応援して下さったのがコンサルタントのI社長だ。

W社長が、飲食世界の先生なら、Iさんは、ビジネスのコーチだ。私も結構熱いので、議論がときどき白熱して、申し訳ないと思っているのだが・・Iさんがいなかったら、P4に辿り着かなかった。W社長、S社の皆さんがいなかったら、この道に来れていなかった。

そして、この仕事を、続けてきたのは、周りにいる会社のメンバーがいるから。

こんな会社いらないと、社員や、社会に言われるまでは続けて行きたい。これが、P4(4つのP)の意味に込められており、私の理念でもあります。

 

ところで、もうお1方、メンターとして、忘れられないのは、食べることが大大好きで、体も人の3倍位大きかった、T島さん。

2007年、27歳の時から、今思うと一から仕事を教えてくれた。アイディアの天才!と言えば、T島さん、という人だった。多くの良店にも食事に連れて行って下さった。仕事も沢山させてくれた。(結構大変でした!!)

もし、まだ生きていらっしゃれば、どんな相談が出来たのだろう・・と時々想像する。

 

 

そして、私達の、ベトナム料理屋としてのスタートは、2003年、渋谷、ちとせ会館にあった、麺屋の集合体の1角から、はじまることになる。

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懐かしの雑貨屋さん 会社辞める編

P4の増田法子です。今、昔話しを書いています。

そんなに何度も書く機会はないと思うので、一生懸命思い出しています。出来れば、年号も思い出しながら・・・。それはいつ頃ですか?良く質問を頂くので!

 

・・・

 ある夏、その中井駅目の前の物件に空きが出ているのを見つけた。

家賃も高いだろうし、私には手が出ないな、と思いながらも、「1週間だけここを貸してください♪」と、お願いし、快諾をもらった。(同じ大家さんだった)

道が一本違うだけなのだが、その催事セールは、売れに売れた。在庫がいっぺんになくなって、ベトナムから取り寄せる時間はないから、国内仕入れ担当の妹が追加で商品を発注してくれた。

いつもの店の前のおばさんは、暇な私達を心配して、差し入れをくれたり、声を掛けてくれたりしていたのだが、この駅前催事の盛況ぶりに「やっぱり場所なのねー」と喜んでくれた。

単純な私は気を良くして、大家さんに、「こっちに移りたいです」とお願いしてみたのだが・・・一足違いで、携帯やさんに取られてしまった。もしかして、申込は同時だったのかもしれない。でも、たまたま売れた片手間営業の雑貨屋より、時流に乗ってる携帯販売店が選ばれて当然の結果だったのであろう。

思うと、この時、この物件が借りられていたら、今もその流れで仕事をしていたかもしれない。少なくとも、P4という会社は生まれなかった。(だから、断られる運命だったのかな!)

 

会社はやっぱりとにかく辞めることを決断した。

「なんで言うことが聞けないのか」と上司は怒ってくれた。「私はこんな性格なので、ここにいると、長いモノにまかれてしまうから、、辞めます」と言った。「訳のわからない理由だな。ばかやろう!」と、もっと怒っていた。

今振り返ると、漫才みたいだった、と思うが、本気だった。(たぶんご本人は覚えていないことでしょう。今でもときどきお付き合いして下さっています。当時S部長。今は常務様です。)

だって、本当に、そうなのだ。会社では、一生懸命働く部下だったかもしれないが、今思えば、自分で新たに何か考えようという気持ちがなかった。目先の変わる仕事を次々に与えられていたら、飽きずにやっていたかも、と時々思うが、「新しいことがやりたいです!」と言う、勇気がなかった。というか、思いつかなかった。

 

そんな中、会社で担当していた、あるネットベンチャーが、倒産した。システムを開発したイスラエルの本社、私のいた会社、某商事などが2億づつ、計10億でつくった会社は、1年でお金を使い切ってなくなった。ピカピカの経歴の社長は、その後すぐ、某米国コーヒーチェーンに請われて、副社長の座についた。

なんだったんだろう・・・。

その仕事が、かっこいいと思えなかった。(その人が格好わるかったという訳ではないですよ!その社長ご自身は、男前でそして良い人でした。それを取り巻く状況が、私の理解を超えている世界だったという違和感だったのかもしれない・・)

このネットバブルの弾けた出来事も、自分で何かしたい(自分の分かる世界の仕事がしたい)、と思うきっかけの一つだったのです。

 

起業にあたっては、社内ベンチャーとして、提案したら・・・とアドバイスももらったりしたが、その時は、億の単位のビジネスは、思いつかなかった。

 

雑貨やの巻は終わりです。

昔話しはつづく・・

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懐かしの雑貨屋さん 二足のわらじ編

そんな風に、アジア雑貨を、小さな店で、売ることからはじめた。

 

アジア全般だったものが、自然に、ベトナムが中心となっていった。

買い付けは、最初は市場で安いものを仕入れたり、街中でちょっと高級なものを探して揃えていった。

そのうち、家具に夢中になって、当時のマジェスティックホテルの支配人Vさんのいとこの家具屋さんKieuさんに頼んで、家具をつくってもらうようになった。

池袋店の入り口にあるチェストや、表参道店にある棚など・・・ も、このときの思い出の品だ。

少しお姉さんのKieuは、家具に関係ない、サンダルの買い付けも、私をバイクの後ろに載せて、炎天下、どこまで一緒に行ってくれた。サンダルは、市場にも卸している工場から仕入れられたので、驚くほど安く買えた。だから安い値段で売れて人気も出た。デザインも、向こうで見飽きたものではなく、日本で受けそうな新しいスタイルを作ってもらった。

Kieuがチェックしてくれるので、発注のトラブルも最小限だった。一時期は、サンダルやになろう!と真剣に思っていた。店のファサード案や、紙袋デザインも、準備して、チャンスに備えたが、その時は来なかった。

・・・そこそこに、順調そうに聞こえるが、これがまた、全然、売れない。駅から近いとはいえ、住宅地の目立たない一角だったので、通りすがりの人は、なかなか来ない。

知り合い相手に、商売しているような、趣味の範疇から、抜け出せなかった。

会社員だったから、収入も安定していて、店の家賃分の赤字位だったら、垂れ流す程度の余裕があった。

これが駄目なんだ、と思って、いよいよ、会社を辞めよう!と思い立つが、「確実に食べていけるまでは、会社を辞めないで2足のわらじでいけ」と、当時の上司にまた止められた。

 

この仕事、仲間たちのボランティアに支えられていた。

参加することを楽しんでくれるのに甘え、買い付けや店番・・いろいろ助けてもらっていたのだが・・・煩雑な通関の手続きまでお願いしないと回らなくなってきて、だんだん皆に申し訳ない状況となってきた。

ちなみに、ベトナム留学生のHちゃんは、私のこの仕事は反対だったので、手伝ってもらうことはなかった。

手伝えるエリアではなかったのというのもあるが、なんで、オフィスのきれいな仕事をしているのに、つらい商売に手をだすのか・・といつも言っていた。(特にベトナム人にはこういう考え方があるようだ)。後述するが、その後、飲食を本格的に・・という時には、「やめてやめてやめて」と懇願された。自分の国に関する仕事で、私が失敗するのを見たくなかったのであろう・・・。

 

楽しいのはいいけど、売れない、売れないから、会社も辞められない・・・という日々だった。

会社での仕事も、結構真面目にやっていた。(当たり前か)。上司は、趣味の範囲内の副業には片目はつぶってくれていたけれど、仕事には厳しかった。カード会社の、事業開発部にいた。

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-ベトナムレストラン経営会社-

株式会社ピーフォー

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FOOD ACTION NIPPON(フードアクションニッポン) ベトナムスケッチ!ベトナム旅行と現地情報 イラストレーター いとさきブギウギ
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