ベトナム料理の道へ はじめのつまづき編
再び、P4の、増田です。この章と、次で、昔話は、終わりです。
昔のことを思い出すと、感謝や反省が蘇ってきますね。
後悔や、誰か、何かを恨むことだけは、ない人生がいいな、と思います。
今のところ、大丈夫みたい、です。
後悔を生むのは、私は、やったかやらないか、ではないのではないか?
どうやったか、なのかな・・と思うこのごろです。
渋谷で、店をはじめた。カジュアルな、フォーの店だ。
物件を紹介を頂き、やってみよう、と始めるまでは良かったのだが・・。
始める前もとにかく大変だったが、その蓋をあけた後の大変さと比べたら、
何ということもなかったのかもしれない。
売れなかったのだ。
売れないと、負の連鎖が起こる。
以前のブログでも少し書いたが、
オープン初日から、いろんなことがおかしいことに気づいたはずが、
当時の私は、そこで修正をする経験も知恵もなかった。
問題が起こり、解決してもしても、次の問題が起こり・・・
ベトナム人スタッフとのコミュニケーションも、機能していなかったのかもしれない。
自分も、はじめは、朝10時から、翌朝5時まで店にいることも多く、
時間がないのを言いわけに、ワークシフトもまともに準備せず、お金の管理も後回しで、食材比が
いくらかかっているかさえも長い間把握しないまま営業していた。
計算しなくても、体で分かる、という天才職人でももちろんなかった。
把握しなければ、何の対策も打てないことが当時は分からなかった。
机上の仕事よりも、現場でとことんやってみたい!という気持ちが間違った方向に作用して、
一生懸命やればどうにかなる、と思っていたのかもしれない。
(実際は、目の前のことに呑みこまれていただけだった)
経営者としても、店長としての責任も果たせていなかった。
皆、疲れていた・・・。
このままでは、私もスタッフも、お店も疲れきって死んでしまう、と大分時が経ってからやっと気づき、
体制を整えることをようやくはじめた。
だけど、それだけで、どうにかなる段階はもうとっくに、過ぎていた。
この場所からは、1年で撤退した。
(その施設自体も、1年強で、クローズした)
その3年ほど後になるが・・・
直属の部下、そうでない人たち・・・ある大勢のいる会議の場で、「休みを取らせないと、皆死んじゃう・・」と発言し、
あれは、人を、道具みたいに表しているのではないか、と後から指摘されたことがある。
この最初の渋谷の店でのトラウマがあって、もう同じことは繰り返さない、と
いう気持ちの表れだったのだが、
誤解を受けたのは、言葉が足りなかった私の責任だよね。(すいませんでした)
言葉って大事だ。伝えるって難しい。でも伝える責任がある。と、今も、反省&再トライの毎日である。
そんな訳でして、最初の店では、大きく失敗をした。
ずいぶん、借金をつくった。
でも、他にも残ったものもあったのです。
人の大切さが身にしみた。
あ、これは何か、おかしいな?という、気づき、の経験値が備わった。
おかしいと気づき、認めることが出来れば、対応は出来るのだ。
あと、苦しさは少しずつ薄れたけど、飲食業の楽しさだけは、残った。
(良かった)
















