ベトナムは、7月1日から34省・市の新体制に再編されました。ニントゥアン省は隣りのカインホア省と合併しました。
私はチャム民族の村に通うために、2013年からニントゥアン省(南中部沿岸地方)に訪れていました。今回の再編で省の名前がなくなると知ったとき寂しく思いましたが、合併後カインホア省となり、これからもベトナムで最も美しい海岸沿いとして知られ、山と海の豊かさと村人の伝統的な暮らしが尊重され、ヌイチュア国立公園のユニークな生態系に希少な珊瑚やウミガメの産卵地として、持続可能な発展を願っています。
美しい海岸沿いに塩田がつづいています。ベトナムの中で一年を通じて日照時間が長く、乾燥した地域のため、塩造りに適していると思います。いつ来ても心地よい風が吹いています。
今年の5月に訪れた朝6時の塩田です。海水が天日と風により白く結晶化しています。
碧い山々は朝もやにつつまれて、塩田はとても静かです。
太陽の温もりと乾いた風に吹かれて海水の表面から少しずつ塩の結晶になっているのがわかります。朝の光りはやわらかくて優しいです。昼間は灼熱の暑さです。
薄氷に浮かびあがるような塩の結晶。
空に浮かぶ雲のようにみえました。さまざまな造形に魅せられます。
海水は、水路やパイプによって塩田に注がれます。
旧、ニントゥアン省の塩田は、海と山の間にすっきり収まっていて、洗練された美しさがあります。
塩の結晶は各所に集められたのち、集荷場へと運ばれます。
塩の山は黒いシートに覆われています。
ここからは、2015年に訪れたときの写真です。
ヌイチュア国立公園に近いので、山の岩がヌイチュアと同じようにユニークです。山の麓にお寺がありました。
Hiepさんという人から、この塩田は、ベトナムがフランス領土だったときにフランス式の塩造りが伝えられたとききました。
フランス式の天日塩田です。海水を太陽の熱と風で自然乾燥させます。ミネラル成分とうまみが増して美味しい塩がつくられます。
塩田の見回りをするHiepさん。この日は曇り空で過ごしやすい日でした。暑い中での塩造りは大変だと思います。
塩田の土手に穴が空いていて、海水の流れを調整しています。
Hiepさんから、生成色の塩をいただきました。気さくでさわやかな笑顔を思い出します。
海の養分を含んだ塩の結晶は大粒に仕上がっていました。まろやかな塩味がして美味しかったです。
塩田から北上するとCá cơm(カーコム)というカタクチイワシの加工工場があります。美しい海に豊かな漁場があり、名産のCá cơm kho(干し魚にしたカタクチイワシ)がつくられます。Cá cơm は、ヌックマム(魚醤)の魚として知られています。村人の暮らし生業を支えるCá cơm(カーコム)は、かごいっぱいに運ばれていました。
2014年に撮影したものですが、今でもCá cơm(カーコム)専用のかごは現役で使われています。プラスティック製のものもありますが、Cá cơm(カーコム)のかごは立派で素敵だなと思います。
Cá cơm(カーコム)を手際よく荷おろしています。
Cá cơm(カーコム)は、塩水でぬめりをとり、きれいに洗います。
水気を切って網状の板に広げます。
Cá cơm(カーコム)の荷下ろす人、塩水にさらし洗う人、蒸して、運んで、天日干しにする人などの役割があります。
薪を燃やして、Cá cơm(カーコム)を蒸します。2人がかりで庭に運びます。
庭に広げて天日干しにして数時間かけて乾燥させます。網板を地面から浮かせて風通しをよくするのですが、白化した珊瑚を使っていました。
青い海と空と、太陽と風の恩恵を受けて、自然のままに乾燥させます。
天日干しのCá cơm kho(カーコム・コー)は、うまみが凝縮されて、香ばしくスパイシーな煮込み料理などにします。
シンチャオ! サイゴンノオトのわん吉です。
先日訪れたホーチミンで、人気のパフォーマンス舞台「A O Show(アーオーショー)」を観てきました。
A O Showとはどんなアートパフォーマンスかというと、一言で表すなら、ベトナムの民族要素満載の現代舞台芸術。
筋骨隆々のパフォーマーたちがベトナムの竹やカゴを使い、ベトナムの民族音楽に合わせて、ベトナムの風景や日常を美しく、時には愉快に表現する舞台です。

ポスターには「ベトナムのバンブーサーカスショー」と書かれています。(個人的には、サーカス要素も大いにあるけれどもっと芸術寄りと言いたい)

じつは、わん吉が初めて「A O Show」を観たのは10年以上前。A O Showがホーチミンで始動した頃でした。
ベトナムの生活の中に転がっている竹やカゴだけで、こんなに豊かな表現ができるんだと驚きましたし、観光地によくある伝統芸能舞台とは全然違って、シンプルな黒の衣装に身を包んだパフォーマーたちが、世界にも通用するような舞台表現を繰り広げていて、ものすごく感動したことを思い出します。
それから10年。
A O Showはホーチミンだけでなく、ホイアンにも専用ステージを設け、世界ツアーも行ったりして、花開いていました。
規模も大きくなって、若いパフォーマーたちも大勢いる、ということは、10年前に小さかった子たちが当時のA O Showを見て、「ワタシもやりたい!」と先輩たちに続いてるのかな、なんて思うと、ちょっと感慨深いです。
さて、A O Showのホーチミンでの舞台は、サイゴンオペラハウスです。

オペラハウスはホーチミンのへそ。正面からまっすぐ進めばベンタン市場、右に進めば中央郵便局とカテドラル、そして左に進めばサイゴン河です。
建設されたのはフランスの植民地だった時代。フランス人建築家によって設計されたオペラハウスは、1900年に最初の演劇作品が上演されました。今年は125周年です。
ホーチミン観光の目玉とも言えるこの場所で、A O Showは月〜木の夜、公演を行っています(スケジュールが変わることもあるので要チェックです)。
わん吉は公演の前日にオペラハウスでチケットを買い(1枚125万ドン、まぁまぁ高級ですが、観る価値あり)、当日は上演1時間前にオペラハウスへ。オペラハウスのガイドツアーがあるというので。
チケットを見せて中に入ると、ウェルカムティーコーナーがありました。この日はレモングラス&ピーチティのサービスです。

ツアーまで少し時間があったので、階段をのぞいてみたり。素敵。

A O Showのスタッフさんによるガイドツアーは、オペラハウスの歴史から始まり、2階席に案内されて建物の説明などがありました。
10分ほどで自由解散となりましたが、せっかくなのでしばらく席に座ってオペラハウスの室内を見回していました。
天井や柱など、さすがにフランスらしい華やかな装飾や彫刻が施されています。

舞台を見ると、A O Showの演出が整っていました。

その後、ロビーに戻ってまたお茶を飲んだり、テラスに出ておしゃべりしたりしながら、わくわくと開演時間を待ちました。
いざ、開演!
上演内容は皆さんの将来のお楽しみのためにご紹介しませんが、ざっくり一言だけご案内すると、10年前のA O Showをベースに、新しい要素もあちこちに取り入れられていて、やっぱり素晴らしかったです。現代の舞台なのに民族音楽がものすごく調和していて、心に響きました。
そして改めて思ったのは、パフォーマーたちの「みなさん楽しんでくださいね!」という思いが熱く伝わってきたこと。
満席の観客もみんな大満足でした。
ちなみに、A O Showのネーミングには、パフォーマンスを見て「アー!」と驚いて、「オー!」と感動する、といった意味が込められているとか。なかなかチャーミングですね。

ロビーに出ると、パフォーマーのみなさんが勢揃いしていました。みんなニッコニコ。

A O Show とっても楽しかったです。Xin Cam on~!
バナ民族のNhà Rông(村の集会場)の広場から近くの民家を訪ねました。その日は、快晴の天気に恵まれて村人たちは朝から稲刈りに出かけていました。村はとても静かです。
出かける前の腹ごしらえをしています。バナ族の背負いかごは、竹製と籐(つる性のトウ)で編まれたものがありました。水は井戸の水を組み上げてつかっています。
写真の右側にいるお母さんと子どものスリングを肩にかけている娘さんは、これから稲刈りに出かけます。真ん中のおばあさんは、膝が痛いので留守番をするそうです。
薪で炊いた白いごはん。ふんわり炊けて美味しそう。渓流でとれた魚を焼き魚や干し魚にして、小魚は甘辛く煮て食べていました。焼き魚はヌックチャムのたれ(赤とうがらし・赤シャロット・砂糖・ヌックマムの味)につけます。マイスプーンで同じ釜の飯を食べています。
焼き魚があまったので、焼き網に挟んで柱にかけていました。小鍋にも煮魚が入っています。日陰で風通しがいいと食べものは傷みにくいので、なるほどと思いました。
籐の背い負かごに水のボトルと食料を入れて、稲刈りに出かけます。お孫さんも一緒です。田んぼは、村から遠いところにあるそうです。
竹製*の背負いかごには、蝶の紋様と黒と赤と白の幾何学模様が入っています。*近年はプラスチック素材をかごの一部にみかけるようになりました。
木の枝を焚べて、川魚を焼いたり煮炊きをしたりします。
朝食が終わるころ、庭で鍋の底をつつく雛鳥たち。
たらいの水を飲む犬。ごくごくと喉を鳴らしています。
見上げると、屋根裏から猫が出てきました。
外壁伝いにそろりそろりと歩いて裏庭へ。
時々、ミャーと鳴いて私にアイコンタクトしてくれます。壁に触れるしっぽがかわいいです。バランスをとっているのだと思います。
獲物をねらっているようです。
タマリンドの木が気になるようでしたが、急にへたっと寝そべっていました。
タマリンドの木は、枝を広げて、ゆるやかな風は、ほのかにレモンのように香る木の葉を通り抜けます。ピンクベージュの花を咲かせていました。
地面にタマリンドの実がいくつも落ちて、種から芽を出しています。
庭の畑には、バナナの木と植えられたばかりのレモングラス。
竹やぶのまわりでは鶏の親子が過ごしています。
ジャックフルーツは、今が旬だそうです。未熟の実を割ると白ですが(野菜としてつかいます)、完熟すると黄色になり甘い蜜をまとっています。香りがよく食感がおもしろい実です。
たわわに実った青パパイヤ。野菜としてつかったり、熟すとオレンジ色になります。甘くて冷やして食べるとおいしいです。
納屋の軒下には乾燥させた赤茶のエシャロット。
背負いかごと小茄子の入った袋。ベトナムにはいろいろな種類の茄子があります。
底部に木材をつかい籐と竹で編まれた背負いかごです。背にあたる部分は竹を編んでパネル状になっています。
かまどの周りは、野菜の種の保存をしていることがあります。燻された豆さやの中は、小粒で面長の黒豆が入っています。
これは、乾燥したバナナのようにもみえますが、なんでしょうか。留守番のおばあさんに訪ねましたが、バナ語だけを話します。ベトナム語は通じませんでした。
バナ民族の家です。平屋もありますが、ここは2階建ての木造家屋です。木の階段を上るとバルコニーのような広い床が設けられています。軒下は広くつかえて洗濯物を干したり、食事をしたりリビングスペースのように感じました。昔は土間づくりだったのではと思います。
家の裏庭からタマリンドの木が大きく育っているのがみえました。次回は話を伺いに訪れてみたいと思います。
シンチャオ! サイゴンノオトのわん吉です。
ベトナムも本格的に夏を迎えるという5月初旬、日本からの旅先としても注目されている古都ホイアンに行ってきました。
川沿いに栄えた港町のホイアン。黄色い壁とブーゲンビリアが絵になるユネスコ世界遺産の街並み

ホイアンはベトナム中部にある古い街。トゥボン川沿いに広がる港町として、はるか昔から外国の船が行き来し、街は交易によって栄えてきました。
江戸時代の日本とも朱印船貿易で交流がありました。当時は日本人が住む日本人街もあったそうで、今も街の中心には、当時作られた「日本橋」と呼ばれる橋が残っています。

その旧市街は、黄色い壁の古い家々と、ところどころに咲き誇るブーゲンビリアの花で彩られています。古い家々は、交易で富を得た商人たちの店舗住宅だったそうです。

ユネスコの世界遺産に登録されているホイアンの旧市街では、観光客が安心して散策できるように車両規制があり、通行できるのは基本的にシクロと自転車のみ(通勤時にはバイクも走っていました)。

歩行者天国でのんびり歩けるはず、でしたが、訪ねた時期はベトナムの連休で、彩り美しい背景を前にポーズを決めるベトナム人観光客で大賑わいでした。


日本のゴールデンウイークに重なったベトナムのお休みは、ベトナム統一記念日(4月30日の)の連休。2025年は50周年が盛大に祝われたそうで、ホイアンの街中でもあちこちに国旗が掲げられていました。


日が暮れると灯籠流しが始まります
夕暮れ時になると、ホイアンの街を流れるトゥボン川に小舟が出てきます。

ホイアンはランタンでも有名な街。辺りが暗くなると、トゥボン川では灯籠流しが始まります。
船に乗り、船上から灯籠を流す人たちで、トゥボン川は大混雑。でも水面にランタンの灯りが反射して、とってもきれいでした。

手作り灯籠を売っているおばちゃんから灯籠を買って、自分で川に流すのもまたよし。

毎月旧暦の14日には、ランタン祭りが開かれているそうです。その夜、ホイアン旧市街で灯るのはランタンの灯りのみ。きっとすごく幻想的ですね。今度はそのタイミングでも訪れてみたいです。

伊勢うどんが由来といわれるホイアンの名物うどん、カオラウ
ホイアンに行ったら食べるべし!が、名物うどんのカオラウと、エビ蒸し餃子のホワイトローズ(写真手前)です。

ホワイトローズは米粉入りの薄い皮に、海老のすり身ペーストを包んで蒸したもの。揚げタマネギのトッピングと一緒にヌクマム入りのちょい甘ダレにつけていただきます。口当たり軽くてとってもおいしい一品。
そしてホイアンの名物うどんといえばカオラウ。太い米麺の混ぜ麺です。

日本の伊勢うどんがルーツになっているという説もあります。伊勢うどんは柔らかくて太い麺に甘辛いタレをかけて食べる麺。それが江戸時代、ホイアンに日本人街があった頃に日本からもたらされたのだとか。
確かにカオラウの麺は太いです。米粉で作られた麺はちょっと茶色がかっていて、表面はざらっとした舌ざわり、のびる感じはなくて噛むとすぐちぎれました。
この麺を、豚肉、もやし、レタスやハーブの具材と豪快に混ぜ合わせていただきます。
タレは甘めの醤油ベース。カオラウはたいてい小さいどんぶりに入っていますが、食べてみると意外にもどっしりとお腹を満たしてくれます。

その後ホイアン市場のライスペーパー屋で、カオラウの麺を見つけました。太くて短めの麺が山盛り!

市場には以前と変わらず三角笠を被った働き者のベトナムのおばちゃんたちがいました。みんな相変わらずきれいに商品を並べていますね。


10年以上ぶりに訪れたホイアン。ベトナムの連休で驚くほどの観光客がいましたが、地元の市場を訪れてみると以前と変わらないのんびりの光景があってホッ。
地元ホイアンの方が言うとおり、「暑いから日中は室内でお茶でも飲んでゆっくりして、お腹が空いたらおいしいごはんを食べて、ちょっと涼しい早朝と夕方に街を散策する」と過ごしていたら、あっという間に3日間が経っていて、すっかりリラックスしたホイアン旅でした。
今、ベトナムにきています。昨年の旧正月のころに、中部高原コントゥム省のバナ民族の村では、Nhà Rông(ニャー・ロン)という高床式の茅葺き屋根の家を建てていました(☆)。
2024年2月撮影
木材でつくられた基礎に竹を籐で結えてつなげた骨組みのNhà Rông(ニャー・ロン)。
村の集会場になります。ここから2週間ほどで完成するときいていました。
2025年5月再訪
今回のベトナムの旅で立ち寄ることができました。稲刈りのシーズンのため、村人は田んぼに出かけていていなかったのですが、Nhà Rông(ニャー・ロン)の完成をみることができました。中部高原のみずいろの空とたおやかな朝の光を受けて美しかったです。
ここは、コントゥム省のコンジョリー村です。昔ながらの暮らしを継承しています。
茅葺き屋根のトップカバーに民族の文様が織りなされています。中央のかすれた図柄は、Rượu cần(ルオウ・カン)壺酒です。ストローでお酒を飲み交わしています。客人が訪れたときにもてなすときいたことがありました。
※バナ族のコンジョリー村を訪問する前に、エデ族(ダクラク省)の木造家屋に滞在した際にいただいた壺酒は、昔からのならわしで紐で大きな柱に巻きつけていました。
昨年の話になりますが、建設時のコンジョリー村のNhà Rông(ニャー・ロン)の柱に壺酒が描かれていたのを思い出します。上から6,7番目の写真です(⭐︎)。
壺酒は伝統・風習の中で最も大切なものなのだと思います。
丸太をくり抜いてつくられた階段。
横からみると茅葺き屋根の傾斜に圧倒されます。村人が竹の格子を登って、屋根を葺きました。
竹小舞のような壁は時間と共にしなやかな風合いがでていました。Nhà Rông(ニャー・ロン)の基礎は前代の木材を活かして釘をつかわずに組み立てています。家を守ってくれるヤモリをみつけました。
壁の隙間から、Cây nêu(カイネウ)が収められているのがわかりました。旧正月など祭りごとに掲げられる大切なものです。
2024年旧正月のころに撮影をしたCây nêu(カイネウ)は、竹でできています。
* * *
村に入ると伝統家屋に囲まれた広い庭があり、鶏が稲穂からこぼれた籾をついばんでいます。
藁はふかふかで心地よさそうです。稲刈りのシーズンはこぼれた籾を鶏やアヒルがついばみ、水牛たちも食べて、村のいたるところで実りをわかちあう農の風景に出会います。
番犬が走ってきました。よく吠えられました。
高床式の赤い土壁の家と平屋がありました。2階建ての家もあります。
キャッサバ芋の木が立てかけられていました。おそらく、竹垣のようにつかったり、短く切りわけて畑に植えたり、燃料にすると思います。葉は食用になります。
集会場の広場にタマリンドの大きな古木がありますが、村にはさまざまな木が植えられていました。
庭先で脱穀した籾の天日干しをしていました。籾かきをして均一に乾燥させます。
シートに広げられた手前の籾と隣りの籾は、長粒種の2種だそうです。
竹製の平ざるにゆすられる籾の音がきこえてきます。
ざるをまわしたり、籾が舞うようにゆすったりして選りわけています。
手で不純物を取りのぞきます。
きれいな籾を天日干しにして仕上げます。こがね色の庭の風景に感動します。気候や品種によって違いはあるけれど、甘くて美味しいお米ができたと教えてくださいました。
シンチャオ! サイゴンノオトのわん吉です。
インドネシアの古都ジョグジャカルタへ行ってきました。
ジョグジャカルタはジャワ島中部にある王宮と文化の街。300年近く続く王宮があり、宮廷文化とジャワ島の伝統文化が今も大切に受け継がれています。
ジョグジャカルタ王宮は伝統文化の宝庫
街の中心部にあるクラトンと呼ばれる王宮は広大な敷地。
ジョグジャカルタ特別州知事も兼ねる10代目の現君主が住んでいるほか、華麗な伝統装飾を施した郷土建築の建物が点在しています。
王宮の一部は一般公開されていて、観光客もたくさん訪れています。

入場料を払って中に入ると、伝統柄のバティック布を腰に巻き、伝統衣装に身を包んだ王宮職員の皆さんが目に入ってきて、まるでタイムスリップしたかのよう。
王宮文化を守り続けているジョグジャカルタの誇りが感じられました。

わん吉が魅了されたのは、建物の装飾に見るジャワ文化とオランダ文化の融合。
インドネシアは17世紀から約350年の間オランダの植民地下にあったため、オランダからの影響がとても大きいのです。

繊細なジャワ装飾様式と西洋の装飾様式が品よく混ざり合っているのがとても美しく、唯一無二の文化遺産だと感じました。



クラトンの舞台では、伝統芸術のジャワ舞踊やガムランがほぼ毎日上演されています。鑑賞の観光客でほぼ満席でした。



王宮所属の婦人鼓笛隊にも遭遇しました。特別公演だったようです。衣装がなんともかわいいですね。


歴代の王たちが好んだ料理を食べる
王宮の隣にある宮廷料理レストランのBale Raos。10代目の現君主の奥様のアイディアで、王宮料理を広く楽しんでもらおうという目的から2004年にオープンしました。

提供するのは、中部ジャワの郷土料理のほか、王宮で食べられていた料理の数々。歴代の王族が好んで食べた洋風メニューも再現されています。
わん吉は伝統ごはんセットを注文。
ジョグジャカルタ近郊で採れた赤米に、先代君主の好物だったというスープ、パパイヤの葉炒め、テンペと豆腐の甘辛煮、ビーフと唐辛子の醤油炒めの組み合わせです。

先代君主の好物だったというスープは、牛ひき肉にココナツミルクと甘酸っぱいスパイスを加えて煮込んだもの。タイのトムヤムのような風味でした。

発酵大豆のテンペと豆腐。ココナッツジュースと砂糖などで煮た後、油で揚げた甘めの一品は、中部ジャワならではの味。

その郷土料理に合わせて注文したのが、ジャワビールです。ビールといえどもイスラム教徒が多い土地柄、もちろんノンアルコールドリンクでした。

8代目君主がお好きだったというこのドリンク。材料はレモングラス、シナモン、カルダモン、ライム、クローブ、生姜といった天然ハーブで、少し甘みのある漢方ドリンクといった印象です。
ジャワ島にはジャムーという伝統的な漢方ドリンクがありますが、まさにそんなテイストでした。
最後に、9代目君主がお好きだったというデザートがこちら。キャッサバとすりおろした若いココナツを混ぜ合わせて作ったケーキです。しっとりした食感がなかなかおいしい一品でした。

棒の部分にはヤシの葉っぱが巻かれていて、かわいい!

Jl. Magangan Kulon No. 1
Panembahan, Kraton, Yogyakarta
ジョグジャカルタ王宮の奥深い伝統文化と料理。何百年と受け継がれ、これからも受け継がれていくであろうその歴史がとても心に残りました。
中部高原コントゥム省でいただいた朝食で印象深かったのが、「Bún nước / ブンヌック」という、スープ麺でした。
おすすめの麺料理がありますよ。と、地元の方に連れていってもらいました。
ペールグリーンの屋根と白い格子門が美しく清らかさを感じる店です。
入口にマリヤ像が静かに佇んでいました。前回の記事後半にも村の教会(⭐︎)をご紹介しました。ベトナム中部高原にキリスト教が入ってきたのは19世紀中頃といわれています。人々の信仰心や日々の慎ましい暮らしに思いを馳せました。
厨房のカウンターに並べられた出来立てのブンヌック。白濁したスープに驚きました。
厨房には、ブンをところてんのように押し出すマシンがありました。店主は大鍋でブンを茹でています。鍋の横に燃料につかう籾殻が置いてあり鍋の下に入れながら火力を保っています。
米粉の生地が細い丸麺(ブン)に押し出され、数分間茹でてから大きなざるにすくいとります。
注文をしている間にも祭壇に目がとまりました。店内は物静かで昔の食堂のようでした。
牛肉入りのブンヌックが運ばれてきました。コリアンダーと小ネギのトッピングに白濁したスープは茹でたブンのスープです。驚くほどにシンプルなブンヌックは、お米の甘みと旨みを味わう麺料理でした。
テーブルのMuối ớt/ムォイオット(生の唐辛子をたたいて塩と混ぜたもの)・生の唐辛子・粗塩を加えて、スープの味を整えます。食べ方もスープにブンを入れてMuối ớtを溶かし入れたり、ポタージュのようなお米のスープを塩味だけでいただいたりしました。
素材の味を活かしたブンヌック。朝食に穏やかに身体が温まる滋味あるスープ麺でした。
シンチャオ! サイゴンノオトのわん吉@シンガポールです。
B級グルメ天国のシンガポール。いろいろある麺食の中でも、ぜひ食べていただきたいのがシンガポールの庶民麺ベスト3、ホッケンミーとチャークイティウとラクサです。
どんなものかご紹介しましょう〜!
ホッケンミー(福建麺)
黄色い麺と白い麺が混ざり合い、えびやイカや豚バラや卵などと一緒に調理された麺がホッケンミー(福建麺)。豚骨とエビからとった出汁がベースで、カリカリのラード(豚の背脂)が入っています。
どんな食べ方をしてもOKですが、添えられたサンバル(唐辛子ソース)を絡ませて、ピリ辛を感じながらいただくのがおいしい秘訣。ライムのようなカラマンシーを全体に絞ると、爽やかな柑橘系の香りが加味されて豊かな風味を楽しめます。

📍Treasure Toast : 23 Purvis Street, Singapore
ホッケンミーという名前がついていても、その形態は店によってさまざま。トロトロソースがたっぷりかけられたものもあれば、焼きそば風にドライに仕上げられたものもあります。
こちらはホッケンプロウンミー(福建蝦麺)。麺の下に隠れてエビたちがいました。エビの出汁が濃厚な有名屋台。

📍Hong Heng Fried Sotong Prawn Mee : Tiong Baru Market ミシュランでも紹介されています
ホッケンミーの由来には諸説ありますが、戦後、シンガポールの麺工場で働いていた中国福建省出身の労働者たちが、工場で余った麺を持ち寄って作っていたそうで、福建麺と呼ばれるようになったとか。
ちなみにこちらは、あのラッフルズのショッピングアーケードで食べた高級ホッケンミー。品の良いお味でした。

📍Singapore Coffee at Raffles Shopping Arcade
チャークイティウ(炒粿條)
幅1センチ弱の平たい米麺のコッテリ焼きそばがチャークイティウ。特徴は茶色一色の見た目です。
えび、魚のすり身、中国ソーセージ、シジミのようなハイ貝、もやし、ニラ、卵などの具材を、醤油などの調味料とニンニク、唐辛子で炒めたもの。ラードで炒めて香りと風味をつけています。
海老醬が入って、より濃厚に仕上げている店もあります。

📍Zion Road Fried Kway Teow : Zion Riverside Food Centre ミシュランでも紹介されています
チャークイティウの中国語表記である「炒粿條」とは「かき混ぜて炒めた紐状の米餅」の意味。手軽に炒めて作れるという労働者たちの食事だったそうです。

📍どこの店か思い出せないけれど、おいしかったです。ベトナム焼きそば(フーティウサオ)に似ていたかも。
ラクサ(叻沙)
カップヌードルにもシンガポールラクサ味があるので知っている方も多いのでは?というラクサ。エビの濃厚な出汁とココナッツミルクにチリが絶妙に混ざり合ったスープがたまらない麺食です。
ラクサはマレー系と中華系の味が混ざって形になったもの。東南アジア一帯で食べられていますが、マレーシア、シンガポール、インドネシアとそれぞれに見た目も味も違うのがおもしろいです。
シンガポールを代表するカトン・ラクサは、使われている麺が太くて短い米麺のため、お箸ではなく、大さじで食べます。
濃厚なスープは旨味たっぷり。結構な辛味がありますが、トッピングのエビペーストを混ぜるとさらに風味豊かに。

📍328 Katong Laksa : 51 East Coast Road
シンガポールの銀座と呼ばれるオーチャードエリアで、一番安くておいしいという隠れ家ラクサ。エビの出汁とココナツミルクが優しく混ざり合い、辛味は控えめでした。

📍Far East Shopping Center 5F : 545 Orchard Road
シンガポールを代表する三大麺。みなさんはどれがお好みでしょうか?シンガポールを訪れたらぜひ味わってみてください。
クアンナム省から中部高原コントゥム省に入り、バナ民族の村に立ち寄ることができました。
VOL.220 VOL.221のつづきです。
Nhà Rông(ニャー・ロン)という高床式の茅葺き屋根の家を建てていました。村の集会所になるそうです。大きな屋根の美しいシンボリックな佇まいです。
正面から見たNhà Rôngの骨組みです。
屋根に人が登って作業をしているので、大きさがわかると思います。
右側にはタマリンドの大木があります。
斜めからみたNhà Rôngです。夕陽が差し込んできれいでした。
高床式の梁の長い奥行きのあるスペースに大きな屋根をのせた家です。車を走らせながらコントゥム省の山村にみるNhà Rôngは村によって少しずつ違いがあり興味深かったです。
村人は今日の仕事を終えて、タマリンドの実を焼いて食べていました。Nhà Rôngは2週間ほどで完成すると教えてくれました。今年、再訪できそうなので楽しみにしているところです。
ここは、Làng Kon Jơ Dri / コンジョリー村といいます。小高い丘の上にあり、村に入ると風が心地よく吹いてきて、風につつまれる感じがしました。丘の上からゆるやかな川の流れやコントゥムの山々が見晴らせるうつくしい村です。
Nhà Rôngを内側から見上げると支柱は木材でした。外まわりは丸竹を組んでいました。全て籐で結えています。
壁面には、竹を半分に割ったものを格子状に結んでいました。
籐を水に浸して曲げやすくしています。
正面入り口の辺りです。竹で組んだ木舞は塗り壁にするのかは未確認です。風が通り抜けていくので天然のいい香りがします。
太い丸太には、Rượu cần(ルオウ・カン)壺酒をストローで飲む絵が描かれていました。お祭りの日に壺酒を飲み交わす神聖な場所なのだと思います。
民家の方に行くと、土壁が塗られた高床式の家があり庭で箒(ほうき)をつくっていました。
村の子どもたちがずっと見守っています。少しずつ手伝いをしながら覚えていくのでしょう。
家の入り口には、Nhà Rôngの茅葺き屋根にふく草がパネル状に束ねられていました。
広場には教会があり、ミサの時間に人が集まりはじめました。中部高原にはキリスト教を信仰する村があります。ベトナム中部高原におけるキリスト教は19世紀中頃からフランスの宣教師による布教活動からはじまったそうです。
教会の前にバナ民族のCây nêu(カイネウ)がありました。竹でできています。おそらくベトナムの旧正月を祝うためCây nêuが設置されたと思います。バナ民族にも伝統文化の継承があり、Nhà Rôngと共にCây nêuは重要な役割を担ってると思います。
少数民族のCây nêuは、今まで、ハノイの民族学博物館でしかみたことがなかったので、感動しました。
モチーフはそれぞれに意味や願いが込められていると思いますが、言葉にならないくらいに素晴らしかったです。
村の子どもたちが集まってきました。
教会の前で、村人が織物にくるまって神父さんがくるのを待っている姿が印象に残りました。
シンチャオ! サイゴンノオトのわん吉です。
ラオスの古都ルアンパバーンに行ってきました。
ラオスというと思い出すのが、村上春樹さんの紀行文集「ラオスにいったい何があるというんですか?」。
実際、訪れたルアンパバーンにはビルもなく、旧市街にはスーパーすらありません。車も自転車に追い越されそうなほどのゆるゆる運転で、街の人たちが歩く速度もゆっくりのんびり。時間の進み方が10分の1になったかのような穏やかな空気が流れていました。
何にもないように見えるけれど、過ごすうちにどんどんその魅力にはまってしまう街でした。豊かな自然に囲まれたルアンパバーンには、伝統文化と厚い信仰があり、なによりおいしいものがたくさんありました。
ルアンパバーンの夕暮れどき、街の街灯が灯り始めます。旧市街に点在する仏教寺院のシルエットが美しくて。

僧侶たちの托鉢から始まる朝。街の人たちがひとつまみの餅米を喜捨します。

ラオスの古都ルアンパバーンとは
ラオスは東南アジアの中で唯一、海に面していない内陸国。日本の本州とほぼ同じ大きさです。
古都ルアンパバーンは北部ラオスのルアンパバーン県にあり、14世紀に始まったランサーン王国の都として栄えた街。
19~20世紀、フランス領インドシナに編入されると、フランスの影響を受け、フレンチコロニアルの建物が建てられるようになりました。

ラオスの伝統的な建築物とフランス統治時代の建物が調和したルアンパバーンの旧市街。その景観が美しく、保存の努力も認められて、1995年にはユネスコの世界遺産に登録されました。
北部ラオスの山の幸グルメに驚く
ラオス料理っていったいどんな感じ? タイとの国境も近いしタイ語も通じるというから、タイ料理に似ているのかなと思っていましたが、現地で食べてみると、ずいぶん印象が違いました。
一言で表すなら、山の幸が盛りだくさん。タケノコやキノコや山菜など、山の素材を使った郷土料理がめちゃくちゃおいしかったです。
例えば、レストランで最初に出されたお通しのピーナッツ。輪切りのレモングラスと塩をまぶしただけですが、レモングラスの爽やかさが効いていて、ワンランクアップのピーナッツになっていました。

こちらは干しタケノコのカリカリおつまみ。干しタケノコの旨みと甘み、それに乾燥したコブミカンの葉の爽やかさが合わさった、何ともおいしい一品でした。

野菜のスープ。葉っぱとディルが入った淡い味で、体に染み込むような感覚でした。

街で評判のラオス郷土料理レストラン「Tamarind(タマリンド)」で食べた、ラオス料理5種盛り合わせ。絶品でした。
右から、干した水牛肉、豚ソーセージ、ナッツとハーブと麺のレタス包み、葉野菜の辛み漬物、タケノコとバナナの花とナスと豚ひき肉の和え物。

ラオス料理の主食は餅米。指先で軽く固めたひと口サイズの餅米を、おかずと一緒に手で食べるのがラオス流です。
ラオスの餅米は日本の餅米よりも軽くてさらりとしているので食べやすく、自然と食が進んでしまいます。
(下の写真)中央が餅米、左下はラオス風キムチ、右下はタケノコと豚やハーブの和え物。こんなにシンプルなのに美味しすぎました。

ラオスで水牛のお肉を食べる
山間部のルアンパバーンでは水牛のお肉がよく出てきました。
特に、干した水牛のお肉(つまりビーフジャーキーならぬバッファロージャーキー)はどのレストランにもあり、街角でも普通に干されていました。

その水牛系おかずで、おいしさのあまり唸ってしまったのが、「Bamboo Tree Restaurant(バンブーツリー)」 のバッファローシチュー。

英語メニューには「シチュー」と書いてありましたが、おそらく「煮込んだ」という意味なのだと思います。
水牛スペアリブをコトコト煮込んだクリアスープで、意外にもさっぱり味。お肉はホロホロ、合わせたディルの香りがすばらしかったです。コクのある黒米の餅米にまさにぴったりの煮込みでした。

ディルを使う料理が多いのは、北部ベトナムも同じ。ラオスとベトナムもまたお隣さんなので、食文化にも似た部分があるのかな?と思いました。
何だか懐かしい、ラオスの仕込み風景
街を歩いていると、ラジオから流れるポップス音楽が辺りに響いていました。音源は食堂で、店員さんたちが野菜の皮をむいたり、刻んだりと仕込み中。

家の外のかまど。お鍋でコトコト煮込んでいました。

餅米を平たくして乾燥中(ビール瓶の底でつぶすのだとか)。これを油で揚げた「おこし」のようなものは、麺の付け合わせになるのだそう。

ルアンパバーンはメコン川沿いの街。川の流れはゆるく、小さな渡し船や漁船と、ちょっと大きめの観光船がゆっくり行き交っています。

そのメコン川の河岸には、あちこちに小さな野菜畑がありました。レタス、ディル、葉物など、郷土料理に使われる新鮮野菜が育っています。
自分たちで食べるものを自分たちで育てて収穫する。自然と共に暮らしている、そんな印象を受けました。

アジアで一番おいしいフレンチベーカリー
フランスの統治下にあったラオスには、フランス食文化の影響がしっかり刻まれています。
驚いたのは、ベーカリーの本物感。ルアンパバーンでも評判のベーカリー「Le Banneton Café & French Bakery」には、パリで食べるレベルのクロワッサンやエクレアやタルトがありました。

おいしくて、最後に駆け込みで買ったクロワッサンとパンオショコラ。飛行機で持ち帰り、一日経っても変わらぬおいしさ。まさにアジアNo.1と表彰したくなりました。

そして、本当は教えたくないけれど(笑)、教えます。ラオスのコーヒーも絶品です。香り豊かなコクのあるSaffron Coffeeのアラビカ豆。これまで飲んだコーヒーの中でもトップクラスでした。

ラオスの古都ルアンパバーンの郷土グルメ、いかがでしたか?
ルアンパバーンは空路ならハノイかバンコクからのアクセスが可能。知れば知るほどに惹かれてしまう素敵な街への旅、わん吉の旬の推しです。
Chúc mừng năm mới 2025
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
一年前の旧正月にベトナム中部クアンナム省(☆)から、中部高原のコントゥム省へ移動して、箒(ほうき)の村 Đăk Gleiに立ち寄りました。道端に収穫された箒草が並べられています。
夕暮れどきおばあさんと歩く道。
女の子が箒草の上をそっと歩いています。山に咲く白い花束をくるりと回しながら。
こんにちは。と、話しかけると女の子は下を向いてしまいました。
おばあさんが気持ちがほぐれるようにやさしく話しかけてくれていました。竹で編んだ背負いかごには、青いバナナが入っていました。
村の吊り橋をわたると、白い花束はお姉さんに預けられていました。お母さんへのプレゼントだそうです。
他の家族も山仕事から村へもどっていきます。
村にわたる吊り橋からの眺めです。浅瀬で川遊びをする中高校生くらいの子どもたち。
刈り取られたばかりの箒草はふんわりしていて虹色ががった色あいでした。
ベトナムのタイル張りの床の家には、箒草のほうきは欠かせないものです。床の隅々まで細かいほこりをすくいとってくれます。
ここは、旧ホーチミンルートです。静かに一日が終わろうとしています。子犬がビューンと走り抜けていきました。
ただ、箒の村にいて気がついたのは、山にあまり木がなかったことです。チュオンソン山脈のなかでコントゥム省のゴックリン山(標高2,598m)は最高峰になるそうですが、天然林や自然が守られますようにと思います。ゴックリン山は漢方のゴックリン人参(固有種)の産地でもあります。
箒の村には、木造や赤い土壁の家がありました。先人の暮らしの知恵が受け継がれて訪れる度に心の通った温もりを感じます。
シンチャオ! サイゴンノオトのわん吉です。
もうすぐバレンタイン♡ 街では日に日にチョコが目につくようになってきましたね。
今回は、そんなチョコレートの話題をぜひ。
スペインのホットチョコレートは最高だった
先日、スペインを旅して知ったのは、スペインとチョコレートは深いつながりがあるということ。
ガイドブックには「現地のチョコレートドリンクを飲むべし!」と書かれていたのですが、「スペインってホットチョコレート??」というのが当初のわん吉の印象でした。
ところが現地に着いてカフェに行ってみると、なるほど、チョコレートドリンクはどの店にも必ずあるではありませんか!

そして、これがじつにおいしかったのでした。
甘すぎず、カカオの香りが芳醇な、温かくて優しいドリンク。言うなら、大人のホットチョコレート。うわぁ〜い!
スペインのみなさんはこのホットチョコレートにチュロスをちょいちょい浸していただくそうです。

わん吉もさっそくいただいてみましたが、これまためちゃめちゃおいしかったです。なぜかというと、チュロスも想像を上回るおいしさだったから。ダブルのおいしさを堪能しました。
チュロスというと、細長い棒状の揚げパンのような、砂糖をまぶしたけっこう甘めのイメージでした。日本だとテーマパークで歩きながら食べるような、そんなイメージ。
ところがスペインのチュロスは、揚げたてのサクサク。ほとんど甘くなくて軽い口当たり。まさに、大人の揚げドーナツです。

ホットチョコレートとチュロスのコンビネーションに脱帽しました。
コロンブスの大航海時代、中米からスペインにやってきたチョコレート
チョコレートの本場というと、フランスやスイス、ベルギーあたりが思い浮かびますが、欧州で初めてチョコレートが到来した国はスペインなのだそうです。
ずっと歴史をさかのぼった大昔の紀元前から、中米ではチョコレートの原料になるカカオが栽培されていたという記録があります。
マヤ帝国やアステカ帝国など、中米を支配していた王朝では、長い間、カカオが神への捧げ物や薬、貨幣として使われていたそうです。
大航海時代、スペインから中米に渡ったコロンブスは、現地で貴重に扱われていたカカオというものを見つけた初めてのヨーロッパ人でした。
その後、スペインが中米を支配するようになると、大西洋を行き来する貿易が盛んになり、カカオがスペインに運ばれるようになります。
当時はカカオを液体状にした、薬のような味の飲み物だったそうです。スペインではこれに砂糖や蜂蜜を入れて、甘いチョコレートドリンクに改良、それが大ヒットしました。
イタリア、フランスなどにもチョコレートが広まり、19世紀に産業革命の時代を迎えると、固めて食べるという今の食べ方が生まれたそうです。
バルセロナはチョコレート天国
チョコレート文化が花開いたスペイン。旅先のバルセロナにもチョコレートショップがたくさんありました。
◉ スペイン王室御用達のカカオ・サンパカ
アシャンブル地区という高級住宅街にある、こじんまりとしたチョコレートショップです。

壁にはアート包装の板チョコがずらり。

ボンボン(Bombones)詰め合わせ4個入りを買いました。手のひらサイズでかわいい。

いろいろなフレーバーのガナッシュ入りチョコ。4個なんてあっという間にペロリでした。おいしかった〜♡

カカオ・サンパカ(Cacao Sampaka)
📍Carrer del Consell de Cent, 292, L’Eixample, 08007 Barcelona
◉ ヨーロッパで最も歴史があるチョコレートブランドのひとつ、チョコレート・アマトリェール(アマリエ)
1797年創業という老舗のアマトリェール。ちょっぴりクラシカルでアートっぽいパッケージがかわいくて、お土産にもぴったり。
アーモンドをコーティングしたチョコの個包装。色ごとにフレーバーも異なります。量り売りというので、チョコ選びに夢中になってしまいました。

量り売りのチョコたちはおしゃれな紙袋に入れてもらえました。

ちなみにアーモンドコーティングのチョコとはどんなものかというと、こんな感じです。とあるタパスバーのメニューにあったチョコ。めちゃくちゃおいしくてびっくり!

さて、個包装のアーモンドチョコを箱に詰めたのがこちら。バルセロナで開花したアールヌーボー・モデルニズモ様式のデザインがかわいいです。

かわいい缶ケース入りは乙女心満点。食べた後もずっと楽しめますね。

ミュシャの絵が印刷されたミニサイズの板チョコ。創業者の孫、3代目は広告に力を入れ、ミュシャに広告物の制作を依頼したそう。

チョコレート・アマトリェール(アマリエ)(Chocolate Amatller)
📍Carrer de Provença, 269, L’Eixample, 08008 Barcelona
◉ 1840年創業の老舗チョコレートブランド、シモン・コール
スペインのスパークリングワイン・カヴァの産地 で創業した老舗のチョコレートブランドが、シモン・コールです。
シモン・コールは1972年に後継者がいなくなったアマトリェール・チョコレートを引き継いだため、シモン・コールとアマトリェールの商品はたいてい同じショップで扱っています。
こちらは期限が過ぎてしまったクリスマス向けミルクチョコレート。セール価格になっていたので買いました!パッケージがクリスマス仕様でかわいいです。

箱を開けたら、さらにかわいくてうれしい。

そして最後に、「スペインで飲むべし!」のチョコレートドリンクの素を買いました。これさえあれば、スペインのおいしいホットチョコレートが家でも楽しめます。楽しみすぎる!

シモン・コール(Simon Coll)
📍 Carrer de Provença, 269, L’Eixample, 08008 Barcelona
スペインから持ち帰ってきたチョコレートいろいろをご紹介してみました。アステカ王国からスペインに渡ったチョコレートの歴史に思いをはせながら、お土産のチョコたちを見て、食べて楽しんでいます。