村の祈祷師のおじいさんを訪ねました。
おじいさんはチャム語を話します。
チャム語からベトナム語、ベトナム語から日本語への通訳が必要で、おじいさんはそろそろ100歳の高齢のため、ゆっくりゆっくり話しました。
NAO SO(ナオ・ソー)おじいさん。もうすぐ99歳の頃の写真です。
おじいさんは、どのような時に祈りますか?と私からの問いに、
「村人が病気になった時に祈る」
「人のために仕事をしているのが楽しい」と応えてくださいました。
この村では、婿入りの習慣があるため、おじいさんは奥さんのTO(トゥー)おばあさんの家に入りました。いつかおじいさんが亡くなった時には故郷の村にかえり、村の墓に入ります。
おじいさんの隣に座っていたTO(トゥー)おばあさんが話しはじめました。
「おじいさんは、もう100歳の高齢で、3回死にそうになったことがあったのよ」
「葬儀をするためのつがいの水牛を準備すると、急に元気になったわ」
おじいさんは、おばあさんの話しに「そうだったね」と、小さくうなずきました。
おじいさんの手もと。
男の人の指輪は、突起が6つある星形(銅製)。白を基調にした民族衣装で、白いターバンをしています。竹の杖を持っています。
TO(トゥー)おばあさんです。
「子どもは女5人、男1人。孫、ひ孫たくさんいますよ」
「子ども、孫、仕事があるのが幸せ」
「食べものが無いのがつらかったわ」と何度も訴えるように話していました。
「私はひとりになりたくないから、おじいさんには生きていてほしいの。私が先に亡くなってからにしてほしい」
おばあさんの手もと。
女の人の指輪は、穴がひとつだけ(銅製)。ガラス玉と石のブレスレット。シルク製の民族衣装は、ワンピースのようにふわりとしています。
おじいさんの部屋に、若かりし頃の写真と北ベトナムからの感謝状がありました。
おじいさんはベトナム戦争では北ベトナムに協力していました。
「戦争の時、村の外ではたくさんの人が亡くなったけれど、村の中では少なかった」
「子どもたちに食べものがない時は悲しい」
「この村はやさしい、安全、病気やこじきがいない」
「またこの村に来てください」
おじいさんの言葉は、思いやりにあふれていて、心に響きました。
東京に戻ってからもおじいさんの言葉を時々思い出しています。