2020年のテト休みのころは、中部高原のザライ省にいました。
山にある畑仕事を終えて、村にもどってきた姉妹と出会いました。
小さな手で白い花束を握りしめていて、「お母さんにスープをつくってもらうの」と教えてくれました。
名前は、タンちゃんといいます。甘くてハスキーな声で話してて、妹さんの手をしっかりつないでいます。私が突然にあらわれたから、おどろいたと思います。
ジャライ民族Naお父さんを訪ねたときに(☆)、近くに新しい道路がつくられて、少数民族がたくさん住んでいるという情報を得て、タンちゃんの村に向かいました。
タンちゃんの背負うバスケットにも小さなつぼみと若葉が入っていました。後に、チャム民族の友だちから、それはニームの木だよと教えてもらいました。葉は苦い味がするそうです。
かつて、チャンパ王国(現ベトナム中部から南部にかけて)があったとき、中部高原もチャンパ王国の一部でした。ニームの木はチャム民族の村(ニントゥアン省)で大木になるほどに、よく育っています。
タンちゃんは、畑仕事の後、ニームの木に登ってつぼみや若葉を摘みとっていたのかな…。一瞬の短い思い出にひたりながら、そう思いました。
タンちゃんは、スタスタと軽やかに木の階段を上って高床式の家に帰っていきました。
背中のバスケットは編み模様でジャライ民族だとわかります。Naお父さんと同じです(☆)。
私の憶測が入りますが、村は、この地に引っ越してきたばかりで、大人たちは農業などの仕事に出掛けていると思います。村はとても静かです。庭の畑は淡く芽吹いてて、さつまいもの苗やキャッサバ芋の苗木はまだ小さくて植えつけられたばかりです。
山の畑から帰ってきたタンちゃんたちの他には、牛の放牧からもどってきた少年や、牛のエサにする干し草を運ぶ兄弟がいました。完成して間もない井戸水を汲んでいました。
* * *
2023年5月に寄り道をして再訪しました。
タンちゃんの家にバスケットがかけてあったので、会えるかも?と思いましたが…。
朝ごはんを食べ終えたお茶碗類がタライにつけてあり、少し待ってみたけれど、会えませんでした。
村は、以前よりも家が増えて電線が引かれ井戸も整い、庭の木や草が育っていました。牛は村の牧草地で草をはんでいました。